マスター・うじゅぱの魔術史講義



このコーナーでは魔術の歴史に関するさまざまなトピックを適当に論じるのである。


講師:マスター・うじゅぱ

本日のテーマ:黄金の夜明け団はなぜ失敗したのか?


 のっけから刺激的なテーマで申し訳ない。おそらく、失敗してない、成功だったと主張したい連中も多いだろうが、創立者三名のうち、死亡一名、退団一名、追放一名などという組織が成功なわけないだろう。創立13年で四分五裂した黄金の夜明け団、その原因がどこにあったのか、それをよく考えておかないと、後に続く者たちも同様の憂き目を見ることは必至である。

 エリック・ハウにせよ、フランシス・キングにせよ、GD失敗の最大原因はウェストコットのSDA捏造にあると考えている。すなわちGDは砂上楼閣だったのであり、秘密の首領なんぞは存在しなかった。その嘘がばれたときにGDはおしゃかになったという説だ。マサースの奇矯、ホロス事件と不幸な要因が重なったのも大きい。

 それも原因にはちがいないが、それ以上に考察しておくべき要素がある。すなわち、団自体の方向性という問題である。

 具体的にいえば、GDは学校なのかクラブなのか、そこのところを明確にしておかなかったのが最大の失敗だったのだ。

 GDはずぶの素人を0=0に参入させ、知識と実践技術を与えていくという点で、明らかに学校である。上達するにつれ、位があがる。すなわち学年があがるわけだ。

 やがて学生は最上級学年になる。もう学校には教えるべきカリキュラムもない。この場合、学校がとるべき処置はひとつしかない。

 すなわち、卒業させることである。免許皆伝として免状を出し、あとは自流を開くなりなんなり好きにせい、とすればよかったのだ。

 しかるにGD、というよりもセカンド・オーダーでは、5=6を3階級に分けたり、さらなるカリキュラムを準備中であるとの予告ばかりで、内実を伴わない引き伸ばしに終始していた。セオリカス5=6に達した者たちは不満が募り、やがてスフィアのように団内部で独自研究に走るわけである。

 GDは教育機関でありながら卒業制度を採用しなかった。これが失敗の最大要因だったといっていい。

 加えて失敗に至る要因のひとつに、マサースの教育者としての資質という問題があげられる。

 マサースは魔術研究者として一流であるが、教育者としては論外である。かれは「弟子の成長を喜ばない師匠」であるからだ。

 教育関係に詳しくない人間には信じられないかもしれないが、この世には「弟子の成長を喜ばない師匠」というものが結構存在するのである。弟子というものはどこまでいっても弟子であって、自分にひざまづき、自分を崇拝すべきであると確信している。どうかすると才能のある弟子に嫉妬して、これを潰しにかかったりするのであって、こんなのにぶつかった弟子はえらい苦労をすることになる。ちなみにマサースの弟子というべきクロウリーも同じタイプである。

 この点を考えると、まだしもウェストコットのほうが教育者に向いていたといえる。GDをしくじったF・L・ガードナーを手元に引き取り、英国薔薇十字協会で骨董修行をさせるあたり、人情味も感じられるからだ。

 クラブに徹した英国薔薇十字協会は、現在でも存続している。中途半端な黄金の夜明け団はあの始末であった。

 魔術における黄金の夜明け団の功績は、一般人が習得可能な魔術システムのカリキュラムを残したことにある。実に多数の魔術結社がそのカリキュラムを採用して現在に至っているのだが、いまだ「卒業生を出す」という観点で活動している結社は見たことがない。少なくともわたしは一例も知らないのである。

 わたしは現在活動している各種魔法結社に進言したい。学校ならば卒業生を出せ、クラブならば教育めいた真似はよせと。魔術結社は宗教団体ではないのであるから、個人の一生を束縛するものであってはならないのだ。



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