月の象徴 −− 樽の老人

デステ・タロットの考察、或いは一枚絵説の補強



 ヴィスコンティ・スフォルザと並ぶプロト・タロットの代表にデステ・タロットがある。フェラーラのデステ家の依頼で製作されたものと考えられており、製作年代は諸説あるがおそらく15世紀中頃とされる。残念ながら寓意札、コートカードを合わせて16枚しか現存しておらず、現在はイェール大学ベイネック稀稿写本図書館に収蔵されている。このカードはVS版と同様、番号もタイトルもなく、またカードの上下にピンホールが空けられている。意匠面でも大きな特徴があり、太陽のカードとして「樽のなかのディオゲネスとアレキサンダー大王」図が描かれている。およそこのセット以外に見られないモチーフである。

 今回はデステより月、星、太陽の3枚をピックアップし、検討を加えたく思う。





 見てのとおり、星を観察する学者、器具を片手に月に関する計算なり記述なりをしていると思しき学者、それに太陽の下で樽に座すディオゲネスである。この3枚が1セットとして製作されたことは、背景の夜空のカッティングから見ても明らかでる。念のためにディオゲネスの故事に関して記すと、紀元前4世紀に生きたこの哲学者は清貧と奇行をもって知られており、犬同様に樽のなかで生活していた。その噂をききつけたアレクサンダー大王がディオゲネスを訪問し、なにか望みはないかと質問してみた。そこに立たれると日があたらないから数歩どいてくれ、というのが哲学者の答えであった。



 この一見すると奇妙な組み合わせは、小生が提唱するタロット=一枚絵説から考えればそれほど奇妙ではない。筆者の考えでは、どこかの教会ないし礼拝堂にこういうフレスコ画が実在しており、それを元絵として作られたのがデステ・タロットだったのである。元絵はギリシャの科学者や哲学者が一同に会した場面を描くものだったはずである。

 こう推測する根拠として、典型的な中世ファンタジーであるリドゲイト作『神々の集い』 The Assembly of Gods by John Lydgate (1415) をあげておく。この作品に関しては英語ファイルにて触れているが、読者の便宜を図って大まかなストーリーを紹介しよう。

 モルフェウスの案内で悪徳軍団と美徳軍団の一大決戦を目にした作者は、その後擬人化した「教義」によって目の当たりにした光景の意味を教えられる。講義が行われる場所は「四方を壁で囲まれた東屋」であり、壁にはそれぞれ見事な歴史絵巻が描かれていた。一面はアダムからモーセに至る逸脱の時代、一面はモーセからキリストの受肉までの逸脱修正の時代、そしてキリストと使徒たちによる恩寵の時代を描く一面があり、最後に見せられるのが「巡礼の時代」と呼ばれる一面なのだ。すなわち--




269
Where I behelde in portrayture
The maner of the feld, euyn as hit was
Shewyd me before; & euery creature
On boothe sydes beying drawyn in small space
So curyously, in so lytell a compace,
In all thys world was neuer thyng wrought;
It were impossyble in erthe to be thought.

270
And when I had long beholde that pycture --
"What", quoth Morpheous, "how long shalt thow looke,
Daryng as a dastard, on yon portrayture?
Come of for shame; thy wytte stant a crooke."
I heryng that myn hert to me tooke,
Towarde the iiiith wall turnyng my vysage,
Where I sawe poetys & phylosophyrs sage,

271
Many oon mo then at the banket
Seruyd the goddes, as I seyed before.
Som were made standyng, & som in chayeres set,
Som lookyng on bookes, as they had stodyed sore,
Some drawyng almenakes, & in her handes bore
Astyrlabes, takyng the altytude of the sonne --
Among whom Dyogenes sate in a tonne.
269
その絵の中にわたしが見たものは
先ほど目撃した戦場そのものの場面だった。
両陣営の者たちが一人残らず
狭い画面いっぱいに
実に見事に描き出されいた。
それはとうていこの世のものとは思われぬ
この世の手になるとも思われぬ作品だった。

270
この絵を長いあいだ眺めていると
「なんと」とモルフェウスが声を放った。「いつまで
馬鹿のように眺めているつもりなのか。
さあ急げ、気のきかぬことよ」。
それを聞くとわたしはわれにかえり、
第四の壁画に顔を向けた。
すると詩人や賢明な哲学者の姿が眼に入った。

271
その数は、先に述べた神々の宴にて
給仕をつとめていた者たちよりもはるかに多かった。
ある者は立ち、ある者は椅子に腰掛けていた。
書物に向かって勉学に励む者あり、
暦書を作る者あり、アストロラーベを手に
太陽の高度を測る者あり−−
そのなかに、樽のなかに座すディオゲネスもいた。




 もうおわかりのように、271連に描かれる「暦書を作る者、アストロラーベを手に太陽の高度を測る者、そして樽のなかのディオゲネス」はそのままデステの三枚に共通する。

 なお、壁画を前に講義をする「教義」 Doctryne は"Crownyd she was lyke an Emperesse / With iii crownes standyng on her hede on hy" 「さながら女帝の如く、頭に高々と三重冠をかぶっている」(214連)わけで、いかにも「女教皇」そのものの姿である。

 271連に描かれた学者たちのフレスコ画といえば、真っ先に思い出されるのがヴァチカン宮殿署名の間を飾るラファエロの『アテナイの学堂』であろう。


アテナイの学堂(部分)


 実に五十名余の学者、哲学者が描かれており、中央付近の階段でだらしなく休んでいるのがディオゲネスである。画面右にユークリッド、左にピタゴラスが配されている。ユークリッドの背後には天球儀を手にした天文学者がおり、この付近が「星」のカードになったと想定してもよい。書き物にいそしむピタゴラスを「月」ととらえるかどうか、意見も分かれるだろう。ただしこの壁画の製作は1509−10年であり、リドゲイトの『神々の集い』執筆推定年1415年とはほぼ一世紀の差がある。ディオゲネスも樽に入っていない。ともあれラファエロ以前にもギリシャの学者の集合絵画が教会内のフレスコ画として存在したのはまちがいないのである。

 「学者の集合場面」を含む一枚絵をもとにしたカード群、これがデステ・タロットの本来の形であったと思われる。それ以外にディオゲネス登場の理由を説明できるとは思えない。この点、「最後の審判」を元絵とするヴィスコンティ・スフォルザ・タロットが、その星、月、太陽の意匠においてデステ版となんの共通点も有さない理由も容易に理解できるであろう。

 デステで用いられた星や月のデザインは、その後も命脈を保っている。「エンシャン・タロ・ド・パリ」や「ヴァンデンボーレ」の「星」が子孫にあたるといってよいだろう。


Paris Vandenborre


 それではわれらがディオゲネスはどこに行ってしまったのか。この点に関して筆者は「大胆な仮説」を有している。かつてこれを唱えた人間がいたかどうか、是非ともご報告ねがいたく思う。また論拠とする語源的こじつけも、正直いって自信が持てないことをここに告白しておく。

 すなわちディオゲネスは後年、「月」のカードに移住して例のザリガニになったのである。本来はザリガニではなく、おそらくヤドカリだったと思われるが、図像的支援に乏しい点がつらい。ヤドカリは英語では hermit crub 隠者カニというが、学名はそのものずばり Diogenes なのだ。もちろん、樽に住む隠者というイメージからつけられた名前であろうが、はたして16世紀あたりでヤドカリをディオゲネスと称していたかどうか。また、ザリガニの仲間にも Cambarus diogenes という種類がいるが、こちらはどうも北米種のようである。

 なお、ディオゲネスはその生活ぶりを犬と比較されることが多く、樽のまわりに犬を描いた例が少なからず見受けられる。このあたりも「月」カード=ディオゲネス説の補強となるかどうか。

 そしてよく観察すれば、月は赤い光と白い光を放っている。むしろこれは日食を表現しているのではないか。アレキサンダーが太陽をさえぎるエピソードを考慮に入れるなら、マルセイユの月=日食説はかなり有力といえるであろう。






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