フランシチェスコ・マリア・グァッゾ著

コンペンディウム・マレフィカルム 

第3書第7章 祈祷に関して


 1549年、とある男がイエズス会の神父に告白している。いわく真夜中に聴罪神父から命じられた告解を行っていると、突如として猫やネズミその他の大群に包囲されたという。色は真っ黒で、恐ろしげな様子であり、それが無数に出てきて寝室にあふれそうになった。生きたまま貪り喰われるのではないかと恐れおののいた男は、あわてて主の御像のもとに駆けつけ大声で助けを求めたのである。すると獣どもは家全体が崩れそうな叫び声をあげ、突如として消えたという。

 1555年、日本の豊後に100年ものあいだ悪霊に苦しめられている家があった。おかげでその羊飼いの家では邪悪が伝来の家法の如くなっており、一家のあるじは偶像をなだめたてまつることに財産を費やしたが、邪悪はおさまるどころがいよいよひどくなっていった。30歳になる息子は悪霊にとりつかれ、父母の顔もわからなくなり、15日ものあいだ食物を口にしなかった。とうとうイエズス会の神父がやってきて、息子に聖ミカエルの御名を唱えよと命じた。しかし聖なる名前を口にしたとたん、息子は激しく痙攣を起こし、手足をあらぬかたへ捻るので、周囲の人が怖気づくほどであった。とはいえ司祭が父と子と聖霊に祈りを捧げると、息子はただちに悪霊から解放された。数日後、今度は息子の妹が悪霊に苦しめられるようになった。そして苦悶のさなか、妹は司祭に対して、キリスト教徒になりたいと叫んだのである。そこで妹を聖水盤のところへ連れていき、十字を切って加護を与えようとすると、ぶるぶると激しく痙攣する。司祭は熱心に祈り、妹も必死でイエスと聖ミカエルの聖なる御名を唱えようとした。しかし悪霊はいよいよ妹を苦しめ、その口をぴたりと閉ざすのであった。しかし妹はついに口を開いてなにやら同じことを繰り返し叫んだ。いわく「日本の宗祖であるシャカとアミダを拒絶するなら、われわれには崇拝対象がなくなってしまう」。この種のことをさんざん叫んでいたが、だれにも理解できなかった。ある日、多数のキリスト教徒のまえで神父がミサを行った。問題の女性も同席していた。ミサを終えたとき、神父が彼女に気分はどうかと尋ねた。「とてもよい」と彼女は答えた。しかし聖ミカエルの御名を唱えるよう命じられると、彼女はぶるぶると震え、歯を剥き出しにして唸った。そして悪霊がしゃべった。自分は出たいのだが、なにせ彼女の家系を長年にわたって宿所としていたので、出ていくわけにもいかないという。そこで司祭が再び聖ミカエルの御名を唱えるよう命ずると、女性はとても心苦しい様子で、涙を流しながら訴えた。「わたしはどこに行けばよいのでしょう?」。そこで周囲のキリスト教徒たちが一斉に祈りを唱えた。そして祈りを唱えるうちに女性に取りついていた悪霊が去ったのである。女性はとにかく水を飲ませてくれと頼んだ。そしてイエスとマリアの御名を唱えるよう命じられたとき、あたかも天使の声のような美しさで御名を唱えたのであった。

 1588年、モラヴィアのブレンにとある病院があった。そこに悪霊にひどく苦しめられている女性がおり、ときに入水を図ったり、あるいは隠し持ったナイフで自決しようとしていた。どれも周囲の配慮でことなきを得たのである。かくの如くして3年ものあいだ患ったのち、彼女は卒中の発作を起こした。舌が妙な具合にもつれてしゃべることもできなくなった。やがて病院の人々のために祈ってほしいという要請がとある司祭のもとになされた。神は祈りを聞き届けた。まず彼女の舌がほどけ、つぎに魂もほどけた。彼女はよき懺悔を行い、秘蹟の赦しを得たからである。

 ルイス・フロイスの書簡(1596年)に次の話が掲載されている。
 府内近郊にかつて権勢を誇った名のある武士が住んでいた。その家の娘が異教徒に嫁いでおり、母親も兄弟もみな異教徒であった。キリスト教徒はその武士ひとりであった。かれはよき信仰の人であった。その娘が急病に倒れ、六日とたたずに危篤となった。悪霊のしわざとのうわさが流れた。身動きが半狂乱であり、とりおさえるのに大の男が二、三人必要だったからである。娘の夫と義父は坊主に助けを求めた。しかし坊主の空虚な儀式と迷信じみたもろもろはなんの役にも立たなかった。いよいよあの世が近いとなったとき、18マイル離れた場所に住む父親のもとに知らせが届いた。父親は必死で駆けつけ、なんとか間に合ったが、娘は意識もなく、父親の顔もわからなかった。そこで父親は寝所まわりの坊主と異教徒たちをさがらせ、自らロザリオを手に主の祈りを三回唱えてから、天使敬祷を開始した。しかし娘の容態は一向によくならず、それどころか痙攣がひどくなり、大人数ですら押さえられなくなった。父親はふたたびロザリオと唱えたのち、ロザリオで娘の背中を叩いてこう言った。「どうやらおまえは悪霊のようだ。この体から出て行け」。すると悪霊が答えた、「出てゆかぬわ」。父親は高徳の人であったから、娘の首にロザリオを掛けてこう言った、「おまえの意思などどうでもよい。出てゆけ」。すると悪霊が答えた、「ロザリオを外してくれ。首が裂けるから。外してくれたら出てゆく」。父親が答えた、「決して外しはしない」。そして縄をもってきて、これで鞭打つと脅した。悪霊は去り、娘を解放したのであった。


解説

 この件は昔、某所に記したことがある。1608年ミラノにて記された魔女狩りの教科書『コンペンディウム・マレフィカルム』(邪妖集成)に日本の憑き物の件が堂々と引用され、悪魔憑き理論のサポートに使われているのである。この個所の舞台は現在の大分県であり、府内はすなわち豊後府内である。憑き物落しに奔走するイエズス会修道士の姿はややもするとユーモラスであるが、極東の些事までを引用して魔女狩りを正当化しようとするグァッゾの姿勢は軽視してはならないだろう。




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