タロットに似たもの 3

時祷書 The Book of Hours

 時祷書とは平信徒のために製作される祈祷書である。聖母信仰を基調とするもので、12世紀後半に出現したとされる。14−5世紀になると貴族階級の婦女子の間で大流行し、贅を尽くした豪華絢爛な逸品が次々と製作された。16世紀になると市民階級の間でも流行し、手彩色の豪華時祷書をまねた木版普及版がベストセラーとなっている。一般市民はベースとなる時祷書を買い、別売りの細密画を綴じこむなどして楽しんでいた。

時祷書


基本構造

 以下は時祷書の基本的な構成である。テキスト部分はラテン語であり、ゆえに不変といってよいが、15世紀後半から徐々に各国語訳が登場している。平信徒は時祷書に従って規則正しい生活を送るよう指導される。

テキスト 図像
十二宮および季節別労働図

福音日課 マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ

聖母時課(幼少篇) 聖母時課(受難篇)
 朝課 懐胎告知  朝課 ゲッセマネの苦悶
 賛課 エリザベツ訪問  賛課 ユダの裏切り
 一時課 聖誕  一時課 ピラトの前に引き出されるキリスト
 三時課 羊飼いへの告知  三時課 鞭打ち
 六時課 三博士礼拝  六時課 十字架を運ぶキリスト
 九時課 神殿奉献  九時課 磔刑
 晩課 エジプト逃避  晩課 十字架降架
 終課 嬰児虐殺  終課 埋葬

十字架時課 磔刑
聖霊時課 聖霊降臨

Obsecro te 聖母子
O intemerata 哀悼

告解詩篇 告解するダビデ、バテシバ

追悼聖務 最後の審判、ラザロ復活、死神等


裕福な貴族は細密画工房に注文を出し、教会にある豪華な典礼書に匹敵する、あるいは凌駕する時祷書を製作させていた。各ページの余白につる草模様や花鳥文様をちりばめ、頭文字はすべて図案化し、さらには自分や家族を挿絵中に登場させる。ペットの犬まで登場させている例もあった。最高級の時祷書一冊の制作費は、現在の貨幣価値でおそらくページあたり数十万円。200ページのそれで5000万円超はざらにあったであろう。このような一級の宝物は無論のこと珍重されたため、保存状態のよいものが多数現存している。博物館や図書館の至宝として書痴の羨望と絶望を集めているのである。


時祷書の普及と大衆化

15世紀後半、印刷技術の発達により書物が一般人にも身近な存在となると、時祷書も普及版が登場するようになった。テキスト部分の花鳥文様は省略され、飾り文字もせいぜい大型色変わり程度であり、また各種挿画も木版多色刷りによる大量生産品を綴じ込むのである。下はカンタン・マサイスの「両替商とその妻」(1514)。妻が普及版時祷書をひもといている。


 豪華時祷書と普及版時祷書にどれほどの差があったのか、具体的に一例を出してみよう。下図左は有名なペリー候時祷書(1410頃)の十二宮人体図、右はラインハルト時祷書の十二宮人体図(1490頃)である。


内容としては同一なのだが、かたや手書きの彩色細密画、かたや素朴な木版画であり、比較対象とするのも不適当かもしれない。ともあれ時祷書は印刷コストの低下も手伝って一気に大衆化していったのであり、その過程で興味深い変貌を遂げていくのである。

まず時祷書に起きた変化として、一家に一冊の常備書という性格ゆえに「家庭の医学」や「初等科教育」相当のコンテンツが加わったことがあげられる。上に出したラインハルト時祷書でいえば、単に人体各部と十二宮の照応を記すだけでなく、「頭痛治療を目的とする瀉血は月が処女宮に入るときに行え」といった指示が入っている。

児童教育を目的としたコンテンツとしては、聖書物語を絵文字化した「リーバス」 rebus 等が代表格であろう。下に出す例はかなり後代の英国ものであるが、雰囲気なりとも伝わるであろう。


このように一節を絵画化し、子供に読ませるというか言わせるというか。時祷書の付録としてこの種の絵文字コーナーを設けることも流行したのである。


タロットと時祷書

両者は同一の場所にて同一の職人によって製作されていたため、似通う部分が非常に多い。時祷書に挿入される細密画はそのままタロットの図案に流用できるのである。カレンダーに描かれる季節別労働図は風俗画のはしりであり、愚者や魔術師を容易に見出すことができる。聖人伝の挿絵は女教皇から教皇に至る玉座系に使えるのである。タロットは時祷書から生まれた−−というよりは、時祷書の兄弟と見なすのが適当であろう。長男たる時祷書は貴族の家庭に入り込んで丁重な扱いを受けたのであるが、三男あたりになるタロットは安酒場で博打うちの給仕をさせられていたといえる。

ただしタロットには時祷書のDNAが受け継がれている。ロザリオ祈祷が持つ瞑想術、聖人カレンダーが有する照応論、追悼聖務にからむ終末論、こういったものはタロットを手にするキリスト教徒の胸中に漠然と感知される。ただのプレイング・カードにはない特質といえる。


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