魔術ビギナーのためのO∴H∴特別講座


基本文献編


 そりゃ、O∴H∴がやる文献紹介となれば、ただ書名を並べるだけではすまないわけで。この際ですから、日本魔術書小史でもやりますか。

 日本における西洋魔術紹介の嚆矢をどこに求めるか、となると議論が分かれるでしょうが、O∴H∴としては

 明治42年、北原白秋『邪宗門』易風社刊

を候補にあげておきたいですな。白秋は「われら近代邪宗門の徒」「末世の邪宗切支丹でうすの魔法」といったボードレール的ないしエリファス・レヴィ的言語世界を紡ぎ出しつつ、異界ヴィジョンの本質を捉えているのでありまして、その後の日本産怪奇幻想系文献の文体に多大な影響を及ぼしているのです。

 さて西洋魔術の日本への可能的侵入経路としては、当然イェイツ研究が考えられますが、当時は英国の学会ですらイェイツのオカルト側面を故意に無視していたくらいで、日本の研究者がGDを云々するはずもなかった。日本におけるイェイツ研究はその後もGDを無視しつづけて現代に至っておりますわい。

 心霊術や神智学は、そのものずばりの形で明治中期に輸入されておりまして、専門書も多々出版されましたが、当然ながら魔術関連の言及はありません。

 そういうわけで、いわゆる魔術を魔術として紹介した最初の書物となると、

 昭和4年、酒井潔『愛の魔術』 および昭和6年、同著者『降霊魔術』

をもって嚆矢とするわけで。これはほぼ異論が出ない選択でしょうな。酒井の魔術情報源はレヴィ、プランシ、ソーンダイクといったところであり、記述はややエログロ・ナンセンスの趣きあり。

 戦争が始まると魔術どころではなくなるのは英国も日本も同じでありまして、酒井潔以後、実に三十年近くのブランクを経て

 昭和36年、澁澤龍彦『黒魔術の手帖』、桃源社

が登場するのであります。ポール・クリスチャン、ジュール・ボア、ペラダン、ガイタといったフランス世紀末派を情報源とする澁澤の筆致は、その後の日本で魔術関係を題材とする各種クリエーターに多大な影響を与えて現在に至っておりますわい。

 この当時、オカルト系の紹介は仏文学者や独文学者の余技余興であり、澁澤を筆頭に種村李弘、巌谷國士、平野威馬雄といった面々が薔薇十字やレヴィを土台に多数の論述をなしておりますな。

 やがて1970年代、英米ではどうしようもないほどのオカルト・ブームが起きてしまいましたが、その余波が日本を襲うには数年のタイムラグがあり、だいたい昭和48年(1973年)頃から続々と重要文献が登場しております。

 昭和48年 コリン・ウィルソン『オカルト』上下巻、中村保男訳、新潮社。当時、ベストセラーとなり(35万部ぐらいだったか?)、世間一般にオカルトなる言葉を定着させましたな。かなり荒っぽい翻訳がいまでも語り草。

 昭和48年 ピーター・ヘイニング『魔女と黒魔術』森島恒雄訳、主婦と生活社。影響力という点ではある意味、群を抜く本ですわい。原本は図版多数を用いてオカルト方面を解説するヴィジュアル本であり、その解説もかなりとんちんかん。しかしどぎついイラストが強烈。早い話、森村誠一の『黒魔術の女』、手塚治虫の『バルボラ』、古賀新一の『エコエコアザラク』、どれも『魔女と黒魔術』にインスパイアされたといって過言ではない。

 昭和49年 クルト・セリグマン『魔法』平田寛訳、平凡社。もともとは昭和36年、世界教養全集全38巻の1冊として出版されたもので、美術史家セリグマンが古今東西の魔法を淡々と語るという資料本。オカルトブームとともに昭和49年ペーパーバックとして登場している。原著にあったタロットの章を「われわれにはあまりにも無関係」として省略した訳者には全国のオカルト・マニアから非難が殺到した。

 昭和49年 W・E・バトラー『魔法入門』大沼忠弘訳、角川文庫。そしてついに登場した魔術書、ですな。当時角川文庫ではデニケンその他の“オカルト”シリーズを出しており、なぜかバトラーが1冊、紛れ込んだのですわ。かくして日本国に「黄金の夜明け」の魔術が伝えられたのである。

 さて、欧州系オカルティズムは澁澤、種村というラインが担当したのであるが、英米系はどうであったか?

 結論からいうと、英米系は専任担当者が決定しないままだったのですな。

 平井呈一、紀田順一郎、荒俣宏という英米怪奇小説系の流れがありまして、ま、ようするにマッケンとかブラックウッドとか、そういったラインから「黄金の夜明け」団あるいは西洋魔術にアプローチするというルートがあったと思いなさい。で、紀田&荒俣の編集になる雑誌『幻想と怪奇』(1972−3)にはフォーチュンやクロウリーの短編が紹介されたりしたのですが、実態はピーター・ヘイニングのアンソロジーから適当にセレクトしていただけであり、本格的な追求はなされずじまいであったのです。

 紀田順一郎はその後怪奇系を離れて「読書の神様」となられました。荒俣宏は昭和56年『世界神秘学事典』(平河出版社)を編纂してオカルト方面への意欲を見せましたが、オカルト方面を含む博物学へと網を広げ、結局オカルトという魚を逃してしまったようです。

 そういわけで黄金の夜明け団と西洋魔術を正面から取り上げる作品が登場するのは

 昭和58年。江口之隆・亀井勝行『黄金の夜明け』国書刊行会

 となってしまうのですわ。

(敬称略)

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