魔術ビギナーのためのO∴H∴特別講座
初級神智学編
神智学 theosophy および神智学協会 the Theosophical Society という組織が19世紀末に創立されておるのですな。この方面に関する知識も若干持ち合わせておかないと、魔術研究がうまくいかないことが多いのですわ。
歴史的な話から始めますと、神智学協会とは1875年にアメリカで創立されたオカルト全般研究組織のようなもので、創立者は霊媒マダム・ブラヴァッキー(1831−91)、弁護士H・S・オルコット(1832−1907)、同じく弁護士ウィリアム・Q・ジャッジ(1851−96)の3名。心霊術から東洋思想や西洋魔術まで、およそ“オカルト”なものを集めた寄せ鍋状態のまま出発しておりますな。
この寄せ鍋に統一性をもたらしたのがブラヴァッキーでありまして、その著書『イシス顕現』(1877)は当時のベストセラーとなりました。
いわゆる神智学とよばれる思想を一言でいうと、“霊的進化論”です。ダーウィンの『種の起源』(1859)に乗っかる形で展開されるもので、古今東西のさまざまな宗教や呪術を収集しては進化論的に検証する。当時としてはきわめて斬新な考え方だったため、多数の信奉者を得ておりますな。
ただしダーウィンの進化論と決定的に異なる点は、神智学では「人間よりもはるかに進化している存在」を想定している点なのですわ。これが「マスター」や「マハトマ」と呼ばれる超人たちであり、だいたいヒマラヤあたりに居住しているのだそうで。
ブラヴァッキーはこの「マスター」たちと交信しており、いわゆる「マハトマ・レター」という書簡を貰っていたそうで。この手紙は突然空から降ってきたり、忽然と食卓に出現したりするのですわ。
1880年、ブラヴァッキーとオルコットはインドに渡り、マドラス近郊で神智学の布教に着手します。同地では、地元の有力英字紙の編集者であるA・P・シネット(1840−1921)を自陣営に引き込むことに成功。シネットはのちにブラヴァッキー礼賛の書『オカルト・ワールド』(1881)を発表し、英国にブラヴァッキー・ブームを巻き起こす。
英国でブラヴァッキー待望論が生じ、神智学協会英国支部も結成される。そこで1884年、ブラヴァッキーはインドをあとにしてロンドンを訪問するのですが、留守中のインドでは大騒ぎが起きてしまう。マハトマ書簡はいんちきではないかと前々から疑っていた人々が、インドの神智学協会本部を家宅捜査、協会側にきわめて不利な証拠を発見してしまう。おかげでブラヴァッキーはインドに帰れず、そのままロンドンに居座ってしまうのであります。
この滞英中、ブラヴァッキーのもとには多数のオカルト関係者が訪問してくる。そのなかにはマサースやウェストコットといったのちの「黄金の夜明け団」の創立者もいたわけですな。ブラヴァッキーはその個人的魅力で多数の信奉者を得て、結構たのしく日々を送っています。
ブラヴァッキーはロンドンにて大作『シークレット・ドクトリン』を執筆し、1891年に死去。
さて、近代西洋魔術の源泉である「黄金の夜明け団」には、多数の神智学協会員が参加しておりまして、それぞれが神智学的思考に慣れておるのです。すなわち「黄金の夜明け団」はカバラと薔薇十字を基本教義とするのですが、それ以外の部分はだいたい神智学的穴埋めがされているといってよい。ダーウィン発ブラヴァッキー経由の霊的進化論がなんだかんだあちこちに散見されるのですな。あるいはアトランティス伝説なども微妙な形で忍びこんでいる。たとえばGDの第五知識講義「大宇宙の小宇宙に関して」というやつには、猿に関して「人間の小宇宙と動物の小宇宙のあいだに物質的直接的連環を作り出そうとした、とある最古の魔術的影響の結果なのである…猿類は人間になりつつある動物ではないのであり、人間から動物への誤った魔術的退化なのである」とか書いてある。
こういう言いまわしはダーウィン以前には考えられないものです。
神智学協会はブラヴァッキーの死後、すさまじい跡目争いを呈しまして、関係者を嘆かせることしばしでしたな。まずアニー・ベザントがその統率力を生かして英国本部を掌握すると、米国に残るジャッジが「マハトマ・レター」を乱発して自己の継承者任命をアピール。するとベザント側も「マハトマ・レター」を出す始末。この手紙合戦はジャッジが1896年に死去したので一段落。しかし米国の神智学関係者はその後キャサリン・ティングリー別名パープル・マザー(1847−1929)を頭目と仰いでベザントから離反。
ベザントはベザントで、インドで拾った少年クリシュナムルティを「世界の教師」、新たなるキリストとしてプロモートしてまわり、大方の反感を買う始末。当のクリシュナムルティが1929年に「人間宣言」をしてキリスト職からおりてしまうなど、どたばた劇の連続でしたわい。
神智学協会ドイツ支部の長であったルドルフ・シュタイナー(1861−1925)も一連の騒動に嫌気がさしたか、1913年には協会を抜けて自ら人智学協会を創立する始末。
神智学は関係者が多数にのぼるため、一旦もめはじめると騒ぎが派手になるのですわ。新聞紙上での暴露合戦など日常茶飯事でしたし、暴露の内容も実に下品。
黄金の夜明け団でも、人の振り見て我が振りなおせ、神智学協会を他山の石とせよと教えておりましたが、結局内輪もめのすえに崩壊しましたわい。
とりあえず魔術ビギナーとしては、上記の内容程度を覚えておけばよろしいですぞ。
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