奥義書の正体

taken from Reginald Scot’s The Discoverie of Wichcraft, Booke XV. Chap.31

 かようなまでに魔法使いどもは卑小な馬鹿どもではないのである。魔女は貧乏でその日の暮らしにも困っており、施しを求めて戸口から戸口へとさまよう。家に戻ってもガマも猫も数がそろっているわけでなし、肥料もなく、呪物の在庫も乏しい。一方、魔法使いどもはローマ教会の要職をつとめ、権威もあれば尊敬も集めている。さらに術にはくをつけるべく、こやつらは大仰な題名の書物を持ち歩く。すなわちアダム、アベル、トビアス、エノクといったあたりであり、とりわけエノクはその方面の大家と見なされている。その他にもアブラハム、アロン、ソロモンの作とする書物もある。ザカリヤ、パウロ、ホノリウス、キプリアヌス、ヒエロニムス、エレミヤ、アルベルトゥス、トマスといった名前も使われるし、リツィエル、ラザエル、ラファエルといった天使も使われる。小アジアで燃やされたというのは間違いなくこの手の書物であろう。さらにはくをつけたいのか、魔法使いたちはさまざまな術に精通していると豪語する。すなわちアルス・アルマデル、アルス・ノトリア、アルス・ブラフィア、アルセフィ、ポメナ、レヴェラティオニス等である。さよう、食い詰めた魔法使いどもは遠慮を知らぬといおうか、地に遣わされわれらを救いたもうキリストにも例えられるヨセフを引き合いにだし、かれもまたこの術に通じており、この術を用いて夢判断を行ったと公言する。そしてこの術はヨセフからモーゼに伝えられ、さらにはモーゼからかれらに伝えられたとする。そういったことをプリニウスもタキトゥスも記しているとぬかす。ストラボンもその宇宙誌において同様の冒涜的言辞を弄しておる。またアポロニウス、モロヌス、ポシドニウス、リシマクス、アピウスなどもモーゼを魔術師にして魔法使いと称している。これに対してはエウセビウスが多くの論拠を挙げて反論している。なぜならばモーゼが魔術師と大いに異なることは、虚偽と真実の差に等しく、また虚栄と敬虔の差異と同等であるからだ。。モーゼはすべての魔術を倒して世人の目を覚ましたのである。世のもっとも狡猾なる魔術師も認めるであろう。かれらの技はすべてまやかしであるが、モーゼの奇跡は神の御手によってなされたものなのだと。しかし哀れな老いぼれ魔女の知識がここまで及んでいるかといえば、さにあらず。魔女の知識範囲はせいぜい牛乳瓶から半マイル先の隣人の家までがいいところである。



解説 : スコットが見聞した当時の魔術書およびコンジャラ事情である。推察するに当時のコンジャラたちは自称「ローマの大司祭や司教」なのであり、持ち歩く奥義書も「アダムの書」とか「エノクの書」とか、それ風のタイトルとなっていた。さまざまな術に精通していると豪語し、その術はヨセフからモーゼといった系譜で伝えられたと称していたのであろう。コンジャラたちは往々にして神父くずれや学生くずれであったから、この種の起源偽装およびそれ風の箔つけはお手のものであった。
 この当時の魔術書はタイトルこそ「アダムの書」、「ソロモンの書」といろいろあるが、内容はほぼ同一である。ここにも名前が出ているホノリウスに関しては古文書保管庫にあるファイルを参照されたし。
 ちなみにこれが占星術師や暦販売業者にかかると「ダニエルの書」の登場となる。

 スコットの筆致は軽妙であり、矛先は魔法使いからカトリック教会にまで向けられる。しかしそこで行われる批判はすべてそのまま英国国教会にも応用できるものであり、はっきり口にこそ出さぬものの、魔法はおろか宗教全般をこけにしている。なればこそ敬虔なるスコットランド国王ジェイムズ六世はわざわざ『悪魔学』の序文にて英人スコットを名指しで非難したのである。



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