神智学系魔術
官能儀式の起源 レムリアは現在のマレー半島からオーストラリア南部にまで広がる大陸であったが、数百万年前に失われた。古代、この大陸にあっては、原始人類は意識半ばの状態であり、肉体意識も薄かった。とはいえこの状態が正常なのであり、自然の諸力に従属する消極的心霊状態のまま生活していた。原始人類を指導したのは「神人」と呼ばれる超人たちであり、オカルト文献でいう「炎の主」、「光の友愛団」であった。その後かれらは「神聖王」、「術士」、「賢者」と称された。すなわちかれらはのちの伝説に登場する神々や英雄であり、人類が独り立ちできるまで保護と統治を引き受けていた。かれらの功績は歴史の転換点に出現する聖賢という形でいまに伝わっている。 かれら「大いなる者」たちの指導のもと、レムリアの原始人たちは自然の法則と周期にしたがって生殖するよう教えられていた。この目的のために使用される主な周期は月の二十八相であった。月は地球の潮を統べるのみならず、人間と植物のリンパ液システムにも影響を及ぼしているのである。植物は月の周期に合わせて発芽し、繁茂し、滅するのであって、人間の性的技法もまたそのリズムを月から得ている。恋人たちに及ぼす月の影響は周知の事実であって、ただの詩的幻想ではない。それは人類の保護者がはるか昔に用いた自然法則にそったものといえよう。女性の生理機能は28日の月周期に支配されているし、また女性はセックスと昇華という点で生理的にも心理的にも原始にもっとも近いのである。女性は男性を誘惑する者であり、また男性に啓発を与える者である。ここにあらゆる宗教における「処女母」の秘儀が存在するのであり、また一部の原始部族に見られる女性の奇妙な社会的位置−半女神にして半奴隷−も説明されるのである。 とある奇書(G.S.ヴィレック&ポール・エルドリッジ著『わが最初の2000年』)がある。一般読者にはただの際物であろうが、真摯なる「生命」の使徒には意味深い書物であり、そのなかに奇怪な一節がある。それは「さまよえるユダヤ人」とその相方、まさに王女と申すべき「サロメ」の物語である。サロメは「愛欲の女」を出発点としてついには女性を浄化し救う者へと進化していく−−心のなかにキリストを出産する神秘の処女となるのである。ユダヤ人カルタファ、別名アハシュエロスはサロメとの愛を成就させようと苦慮し、悩む。サロメこそは真の幸福すなわち「永遠の生」の鍵を持つ者であることを、アハシュエロスはわかっている。かれは常人のように死ぬことができないため、官能のなかに真の幸福を見出せない。カルタファは地のおもてをさまよい、あらゆる国、あらゆる時代に享楽を見出し、「完全なる女」との合一を求めるのだが、それが得られない。生命そのものと同様、万物は灰燼に帰し、あらゆる肉の喜びもまた色あせることを思い知らされるだけなのだ。一般読者に俗受けするような物語のなかに、深い叡智がちりばめられた書物といえよう。 |
Furze Morrish The Ritual of Higher Magic (London: Oak Tree Books, no date), p.74 |
そもそもGD本流には性愛に関する教義が存在しない。その穴を埋めるべく、1890年代半ばに一部有志がイレギュラー導入をもくろんだのがトマス・レイク・ハリスの「レスピレーション」であったが、これは団員大多数の反発のために雲散霧消した。 20世紀に入るとクロウリーの活躍が始まるが、こちらはGD本流に影響を与えない。やはり性愛が魔術の一大眼目となるには時間の経過と社会的雰囲気の醸成が必要だったのであり、具体的にいえば第一次世界大戦後である。そしてこの時期、魔術界に持ち込まれたのはフロイト心理学、および神智学に由来する特殊な性愛および生殖論だった。ともにダイアン・フォーチュンの仕事である。 フォーチュンの性愛および生殖論は『海の女司祭』をお読みいただくとして、この流れがどこまで波及したのか、そのサンプルとして紹介するのが上記の引用文である。ファーズ・モリッシュの『高等魔術の儀式』に描かれる超人・レムリア・神秘美女という3点セットを考え、さらにこの著作をW.E.バトラー(自身、神智学系のリベラル・カトリック・チャーチ関係者)が推薦図書としてビブリオに収録したという事実を鑑みると、神智学系魔術の流れは伏流として途絶えることはないと思われる。 |