チェンジリング外伝

 サー・ゴドフリー・マクロクは放蕩の果てに財産を使い果たし、モクルムの地所をマクスウェル一族に売却したのち、カルドネスに居を構えた。

 この地の隣人にウィリアム・ゴードンというのがおり、自分の土地に迷い込んだ家畜を持ち主に返さない。

 そこでサー・ゴドフリーは家畜を取り戻すための一味に加わった。

 当然ひともんちゃくあり、起訴状の文面によれば、ゴドフリーは、「ゴードンに対して銃を発射し、大腿部に重傷を負わせた」。

 前記ゴードンは数時間後、この傷が原因で死亡した。

 サー・ゴドフリーは国外に逃亡したが、数年後、大胆にもエジンバラに舞い戻り、教会の日曜礼拝に出席した。

 会衆のなかにギャロウェイ出身の男がおり、サー・ゴドフリーに気がつくとすぐさま「扉を閉めろ、人殺しがいるぞ!」と叫んだ。

 サー・ゴドフリーは逮捕され、裁判で有罪を宣告され、「1697年3月5日、斬首の刑に処せられた」。

 犯罪記録の記述は以上の通りだが、地元には別の物語が伝わっている。

 悪の道に染まるまえ、いまだ若きサー・ゴドフリーはマートゥン塔の窓に座り、下水道工事の監督をしていた。

 城から出る排水をホワイト湖に流し込もうというのである。

 突如かれは驚愕した。すぐそばに白髯矮躯の老人が出現したのだ。奇妙な仕立ての緑衣をまとい、しかも怒髪天を突く形相である。サー・ゴドフリーは思わず立ち上がり、最敬礼をもって老人を迎え、いかなるご用件かと申し出た。

 すると驚くべき答えが返ってきた。「マクロクよ、余はブラウニーの王じゃ! 余の宮殿は長らくそなたの塔の塚の下にあったのだ。そなたが掘っておる下水溝が、わしの玉座の間を突っ切ろうとしておる」

 サー・ゴドフリーはあわてて窓を開け、職人たちに作業中止を命じた。そしてブラウニーの王に対し、陛下の思し召すままに下水溝の向きを変更いたしますと申し出た。この提案は受諾された。おかえしとしてサー・ゴドフリーは危急存亡のときに妖精王の助けが得られることとなった。

 それから月日が流れ、マートゥンの騎士は前出の事情によって敵を葬り、自らも死刑の宣告を受けてしまった。

 処刑場への行進が始まり、見物人が押しかけた。すると一同は驚いた。白髪白髯、古風な緑衣に身を包んだ矮躯の老人が白馬にまたがって出現したのだ。老人は城の土台から現れ、サー・ゴドフリーが乗せられた無蓋の荷車へと駈けていった。一同が見守るなか、サー・ゴドフリーはほかならぬ妖精王とともに鞍上の人となり、湖を渡り、城に向かい、消えていった。驚倒した一同がふたたび荷車に目をやると、そこにはゴドフリーに恐ろしく似たものがいた。

 世間一般にはゴドフリーは非業の最期を遂げたと信じられており、それ以上の詮索はされなかった。事情を知る者も少数いたが、かれらの口は重かった。断頭台から首が落ち、残躯から血が噴出した模様を語りはしても、最後には「あれはちがう。魔法の一種だ」と付け加えるのであった。

J. Maxwell Wood, Witchcraft and Superstitous Record in Southwestern District Scotland (Dumfries : 1911)

解説

 マクスウェル・ウッド『南西蘇格蘭妖異伝承』にあるチェンジリングの別形態報告である。そもそもウッドによれば、妖精たちが人間の赤子をさらうのは、7年に一度サタンに差し出す生贄のためであるという。妖精たちの魔力はサタンと契約して獲得したものであり、契約更新に際して本来ならば妖精族から生贄を出すのであるが、人間の赤子のほうがより好まれるとのこと。当然ながら赤子は洗礼を受ける前でなければならないとされる。




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