Dunstan, Saint
聖ダンスタン
(909-88)


☆ 英国の聖人。ベネディクト会出身のカンタベリー大司教。修道院運営の改革者。魔術師、錬金術師としての評判があり、ここに収録される。

 909年、グラストンベリー近郊のボルトンズバラにて貴族の家系に生まれる。修道院にて教育を受け、長じては伯父アセルスタン王の宮廷に入る。
 935年、異教徒の詩歌や物語を研究したとの告発を受けて宮廷より追放される。これを機にウィンチェスターにてベネディクト会の修道士となり、グラストンベリーに帰還して隠遁生活に入る。この時期に絵画、刺繍、金細工などを習得。
 939年、当時廃墟となっていたグラストンベリー修道院の院長に指名され、これの復興に尽力する。
 955年、英国国王の代替わりにより政治的状況が一変、数年ほど追放されてヨーロッパに渡る。
 957年、再び政治状況の変化により英国に呼び戻され、ウスターの司教となる。
 960年、カンタベリー大司教となり、英国の修道院改革に辣腕を振るう。
 988年、死去。死の二日前まで精力的に説教等をこなしたとのこと。

 祭日:5月19日。持ち物:鉄のはさみ

 ダンスタンの魔術師/錬金術師伝説は根強いものがあり、よく悪魔の鼻を鉄のはさみでつまんでいる姿が絵に描かれている。錬金術師としての評判は、まず金細工を得意としたこと、さらに修道院経営者として集金に長けていたことが理由であろう。ダンスタンは時の国王に仕えて相談役を務めた時期が長く、宮廷魔術師マーリンの再来というイメージがあったものと思われる。魔術師/錬金術師としてダンスタンは多数の伝説や民話のなかで不滅の生命を保っている。

 上の図は美女に化けて誘惑しにきた悪魔の鼻を焼けた鉄のはさみでつまむダンスタン。悪魔のひづめに無理やり蹄鉄を打ちつけて降参させるというエピソードも有名であり、蹄鉄が魔除けになった由来とされている。

 
 

主要著作

参考文献 Flight, Edward G., The True Legend of St. Dunstan and the Devil. London, 1871.


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