Collins, Mabel
メイベル・コリンズ
(1851-1927)


☆ 小説家。初期の神智学協会員であり、ブラヴァッキー相手の喧嘩で有名。

 1851年、チャネル諸島にて出生。落ち着きのない父親のおかげで浮き沈みの多い生活を送り、夜逃げ同然に各地を転々とする子供時代をすごす。長じて小説家となり、ポピュラー・ロマンスを得意とする人気作家となる。

 1880年頃、医師ケニングデール・クックと結婚。 この頃から心霊術方面から隠秘学に興味を持つようになり、1884年に神智学協会ロンドン・ロッジに顔を出し始めている。ブラヴァッキーに会って、熱烈な信奉者となっているが、ほぼ同時に夫と別居しており、直後に未亡人となっている。

 1887年からブラヴァッキーと協同して神智学協会の会報『ルシファー』の編集にあたっていたが、私生活上のことでトラブルを起こして1888年に協会から追放されている。なにが問題だったかは、イェイツが語っている−

 「私が彼女[ブラヴァッキー]の家に初めて訪れた時、そのうちにしょっちゅう出入りするようになったが、見栄えのよい利口な女性[メイベル]の存在に気がついた。彼女はどうみても場違いな風体だったが、自分では告解者のつもりだったのである。ほどなく、山ほどのスキャンダラスな噂が広まった。この告解者が、ゆくゆくは禁欲的賢人となるはずだった二人の青年とあからさまに関係していたからである。このスキャンダルが余りにもひどかったので、マダム・ブラヴァッキーは告解者を呼び付けて、こう言わねばならなかった、『動物的本能を押し潰す必要があるのです。あなたは行動に於いても思考に於いても貞節に生きるべきです。秘儀参入は完全に貞節を守る者だけに許されるのです』−しかし、何分間か熱烈な説教が続いて、告解者が我が身を恥じてうちひしがれていると、ブラヴァッキーはこう締めくくった、『せめて一人にしなさい』」
1

 メイベルは神智学協会を追放された後、1890年にはブラヴァッキーを名誉毀損で訴えているが、公判直前に訴訟を取り下げている。
 その後、婦人参政権運動などを活発に行い、また多数の著作を世に送り出している。1913年にはルドルフ・シュタイナーに出会い、以降シュタイナー信奉者となる。

 1927年3月31日、グロスターシャーにて死去。

 彼女の名前を今に残している代表作 Light on the Path は、彼女が神智学協会に関係する以前に、マスター・ヒラリオンという霊的師匠から通信されたものであり、心霊術の所産だったが、神智学協会の人間にも訴えるところ大であったので、協会から1885年に出版されている。メイベルがスキャンダルで協会を去った後も、この作品は協会の主要テキストとして今でも再版されている。

1. Yeats, Autobiographies (London: Macmillan, 1980) p.177.

主要著作 Light on the Path, TPS, London, 1885.: TPH, many reprints.
The Star Sapphire, Robert Bros, Boston, 1896.
Illusions, TPS, London, 1905.
The Awakening, TPS, London, 1906.
The Idyll of the White Lotus, TPS, London, 1910.
The Transparent Jewel, Rider, London, 1912.
When the Sun Moves Northward, TPS, 1912, London.
The Crusible, TPS, London, 1914.
Our Glorious Future, Theosophical Book Shop, Edinburgh, 1917.



参考文献 Farnell, Kim. Mystical Vampire. The Life and Works of Mabel Collins, Mandrake of Oxford, Oxford, 2005.


目次に戻る