Cagliostro
[Giuseppe Balsamo] カリオストロ 本名 ジュゼッペ・バルザモ (c.1743-1795) 別名 Grand Copht ☆ 18世紀後半、ヨーロッパで大活躍した悪党にして魔術師。 出生、教育等に関しては、いまだ確たる定説もないが、ろくでもない少年時代を過ごしたのは確実である。餓鬼の時から手癖が悪く、抜けまいりからぐれだして、旅から旅を稼ぎ回り、盗んだ金の罪とがは、毛抜けの塔の二重三重、かさなる悪事に高とびなしという生活を送っていて、奇妙な錬金術師に出会い弟子入りする。以後、師匠から様々な手口を学びつつ各地を放浪し、アレクサンドリアやマルタ島にまで足を伸ばす。いつのまにやらカリオストロ伯爵を自称するようになり、イタリーに舞い戻ってロレンツィアという美しい娘と結婚している。 以後、カリオストロ伯爵夫妻は錬金術を売り物にヨーロッパを巡業している。妻ロレンツィアの美貌は助平貴族・金満家を引っ掛ける餌として用いられ、絶大な効果を発揮した。 1776年、 ロンドンでフリーメイソンリーに入会してオカルト的にハクをつけて、「グランド・コプト」なる称号を名乗るようになり、さらに商売は繁盛するようになった。彼のフリーメイソンリーはエジプト起源のものとされており、本人は真剣に受け取っていたようである。 カリオストロの運命が傾き始めたのはパリ時代、ルイ16世のベルサイユに出入りしていて、かの有名な「ダイヤ首飾り」事件に巻き込まれたあたりからである。この事件をなんとか切り抜けたものの、パリがヤバくなってきたので、ローマに移ってみると法王庁に逮捕されてしまった。カトリックがフリーメイソンリーに敵愾心を抱いていたのをカリオストロは忘れていたのである。 彼は宗教裁判にかけられ、1791年に終身刑を言い渡されている。 1795年、獄死。 カリオストロが錬金術その他のオカルト関係を商売にしていた詐欺師であることに一点の疑いもないが、ある種の治癒力を有していたのもまた事実である。20世紀になってカリオストロの再評価が進み、それまでの単なる詐欺師像から抜け出して、一種のロマン・ピカレスク的冒険家として捕捉されるようになっている。 |
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主要著作 | - - |
参考文献 | Trowbridge, W.R.H.: Cagliostro, The Splendour
and Misery of a Master of Magic, London, 1910. |
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