Bardon, Franz フランツ・バードン (1909-1958) 芸名 Frabato ☆ 1920年代から30年代にかけてドイツ・オーストリア圏で活躍した魔術師にして磁気治療士。「フラバトー」というステージネームで知られ、幾多の公開治療を行い、またテレパシーやサイコメトリーを実演する。 1909年12月1日、神秘主義者ヴィクトールバードンの長男としてチェコのオパヴァにて出生。14歳のとき、父親ヴィクトールの師匠となるべく巨大な霊的存在がフランツ少年に受肉。それまでのフランツ少年は別の転生に向かい、以降フランツの肉体はかつて老子やサンジェルマンであったグレート・マスターの乗り物となった。この破天荒なカルマ干渉ゆえに、マスターとしてのバードンは限りない苦難の人生を歩むことになったとされる。 1920年代。ドイツの魔法結社「アドニス」に入会した模様。 1933年、ナチスの台頭により磁気治療が禁止されると、数々の迫害を受けながらも治療を続ける。 1941年、ミュンヘンにて正規の医学教育を受けるべく医学校に入ろうとするが、秘密警察に逮捕されて強制収容所にぶちこまれる。 1945年、終戦直前に収容所を脱走、故郷であるチェコスロバキアに潜伏して終戦を迎える。 戦後、治療活動を再開するが、チェコスロバキア共産党からスパイの嫌疑で睨まれる。医師法違反や薬事法違反で逮捕されること数回。 1956年から他に類を見ない魔術書を次々に発表。 1958年3月に薬事法違反で逮捕。同年7月10日、腎臓の疾患でブルノ医療刑務所にて死去。 バードンの生涯は謎が多く、上記の記述も自伝的小説 Frabato からおおむね事実と思われる要素を抽出し、さらにサターン・グノーシス等の資料から補填したものである。(Frabato はバードン名義であるが、事実上の著者は編集者 Dieter R ggeberg であり、内容は余りにも現実離れしている。) 魔術史家フランシス・キングはバードンがO.T.Oのメンバーであったと述べているが、事情はやや複雑のようである1。バードンはサトラ・ムッサラムなる人物が1925年に創立したアドニス会のメンバーであり、この会が3年後にOTOを起源とするサターン同朋と提携したとのこと。このときアドニス会は提携をめぐって内部分裂し、会員の多数がサターン同胞になだれ込んだといわれる。この間のバードンの去就は不明である。 1. Encyclopedia of The Unexplained, RKP, London, 1974, p.278. |
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主要著作 |
Der Weg zum wahren Adepten, Verlag Hermann Bauer, Freiburg/
Bresgau, BR.Deutschland, 1956.: Initiation into Hermetics, Eng.tr.
Radspieler, Dieter R ggeberg, Wuppertal, Western Germany, 1971. |
参考文献 | |
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